生活保護法改正と憲法改正論に通底するもの
5月10日に自民が生活保護法改正案を了承したようだ。
「不正受給」や「不適正受給」を取り締まることが主眼らしい。「不適正」というのは違法ではないが我が党としては許し難いということだろう。そんなことを法律に盛り込もうというのだから、とんでもない代物だ。はっきりと「不正」と言えないことでも取り締まれる魔法の法律。
その魔法はどんな仕掛けかというと、例えば保護の要件や優先に関する4条1項や2項をそのまま残しながら、つまり扶養を要件としないまま次のような規定を盛り込むというもの。
・まず申請書に資産や(能力活用に関わる)収入とともに扶養義務者の状況等について記載を義務づける。
・そして、29条で要保護者本人の資産能力活用状況だけでなく、扶養義務者の資産や収入について同等の調査権限を設ける。
つまり、要件事項も優先事項も一緒に扱うと言うことだ。4条を残しながら実務的には優先事項の扶養を要件に等しいものとして扱うということ。これは4条1,2項違反に他ならない。
この魔法の法案にはもっと不思議な規定もある。
現行法では住居喪失者も当然ながら保護申請できるし、保護実施機関も保護を為すべき義務を有する(19条1項2号)。しかし、自民法案では、24条申請書に住所又は居所を記載することが義務づけられた。他方、居住地がないものへの保護実施責任(19条1項2号)についてはまったく改訂なし。野宿場所も住所あるいは居所だというのだろうか。
小手先の改訂で保護受給権を制限使用という浅知恵で作ったからだろう、いろんな不備が見える。そもそも生活保護法とは何であり、何のために作られたのか。まず憲法が生活保護法を作ることを立法府に義務づけているからである。それを作るとしたらどのようなものでなければならないか、憲法はそのようなことをも要請している。
「健康の文化的な最低限度の生活」といえるだけの水準の給付を平等に行うとすればどのような仕組み、手続を必要とするのか、よくよく考えられて作られたのが生活保護法だ。
平等といっても一律平等な額を給付すれば良いというものではない。保護を必要としている生活困窮者のまさに「必要」に応じて異なるものを給付しつつ、なおかつそれが平等だといえねばならない。「必要」を把握し、必要に応じた給付を行うためには機械的当てはめではなくケースワークが必要である。しかし、そうすると権利の平等な保障が害される危険がある。だから申請、決定、争訟にいたる手続的保障が必要である。すべての人に平等に保障されるべき幸福追求権を保護受給者が無根拠に制限されてはならないのは当然である。
今回に限らず、生活保護法改正についてはいろんな立場の人から意見が出されてきたが、そもそも現行法がこのような憲法上の要請に従った原理と構造を有しているのだということを意識して論じたことがあったのだろうか。法律だから安易にいじれるのだという立法裁量原理主義をこそ叩く必要がある。改正手続改正による「憲法の法律化」、立法裁量原理主義の憲法化が目論まれている現在だからこそ。
「不正受給」や「不適正受給」を取り締まることが主眼らしい。「不適正」というのは違法ではないが我が党としては許し難いということだろう。そんなことを法律に盛り込もうというのだから、とんでもない代物だ。はっきりと「不正」と言えないことでも取り締まれる魔法の法律。
その魔法はどんな仕掛けかというと、例えば保護の要件や優先に関する4条1項や2項をそのまま残しながら、つまり扶養を要件としないまま次のような規定を盛り込むというもの。
・まず申請書に資産や(能力活用に関わる)収入とともに扶養義務者の状況等について記載を義務づける。
・そして、29条で要保護者本人の資産能力活用状況だけでなく、扶養義務者の資産や収入について同等の調査権限を設ける。
つまり、要件事項も優先事項も一緒に扱うと言うことだ。4条を残しながら実務的には優先事項の扶養を要件に等しいものとして扱うということ。これは4条1,2項違反に他ならない。
この魔法の法案にはもっと不思議な規定もある。
現行法では住居喪失者も当然ながら保護申請できるし、保護実施機関も保護を為すべき義務を有する(19条1項2号)。しかし、自民法案では、24条申請書に住所又は居所を記載することが義務づけられた。他方、居住地がないものへの保護実施責任(19条1項2号)についてはまったく改訂なし。野宿場所も住所あるいは居所だというのだろうか。
小手先の改訂で保護受給権を制限使用という浅知恵で作ったからだろう、いろんな不備が見える。そもそも生活保護法とは何であり、何のために作られたのか。まず憲法が生活保護法を作ることを立法府に義務づけているからである。それを作るとしたらどのようなものでなければならないか、憲法はそのようなことをも要請している。
「健康の文化的な最低限度の生活」といえるだけの水準の給付を平等に行うとすればどのような仕組み、手続を必要とするのか、よくよく考えられて作られたのが生活保護法だ。
平等といっても一律平等な額を給付すれば良いというものではない。保護を必要としている生活困窮者のまさに「必要」に応じて異なるものを給付しつつ、なおかつそれが平等だといえねばならない。「必要」を把握し、必要に応じた給付を行うためには機械的当てはめではなくケースワークが必要である。しかし、そうすると権利の平等な保障が害される危険がある。だから申請、決定、争訟にいたる手続的保障が必要である。すべての人に平等に保障されるべき幸福追求権を保護受給者が無根拠に制限されてはならないのは当然である。
今回に限らず、生活保護法改正についてはいろんな立場の人から意見が出されてきたが、そもそも現行法がこのような憲法上の要請に従った原理と構造を有しているのだということを意識して論じたことがあったのだろうか。法律だから安易にいじれるのだという立法裁量原理主義をこそ叩く必要がある。改正手続改正による「憲法の法律化」、立法裁量原理主義の憲法化が目論まれている現在だからこそ。
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